【昔の沖縄シリーズ】1956年から1968年の那覇の記憶

Published 2022-08-03
この動画は、1956年から1968年の那覇を中心に、当時の様子を写真と共に紹介するものです。当時の那覇市内や港、祭り、政府施設など、様々な場所を訪れてみましょう。古い写真からは、喜びや悲しみ、そして温かい思い出が伝わってきます。

動画の中には、琉球気象台からの泊港の風景、国際通りの映画館の大きな看板、美空ひばりショー、沖縄山形屋の屋上からの琉球政府の眺め、バスターミナルやホテルサンパレス球陽館など、当時の様子を伝える写真がたくさんあります。また、市場通りや開南バス停前にも立ち寄り、当時の生活風景を垣間見てみましょう。さらに、那覇市首里の復元された守礼門を足場に写生する子供たちの様子も収録しています。

様々な場所での写真から、当時の那覇市の様子を感じることができます。ぜひ、この動画で1956年から1968年の沖縄の思い出を振り返ってみましょう。

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All Comments (6)
  • 1955年生まれだけど映像で見るような記憶が残っていません!ありがとうございます!
  • @mkjnkg
    1,952年生まれですが、幼稚園頃であったが喜びも悲しみも幾年月をみにいった記憶があります。「ベン・ハー」「楢山節考」を見にいった記憶も残っています。
  • @user-ox6fz7mv7p
    神里原通りの大洋劇場で思い出しましたが、那覇市内には嘗て多くの映画館がありました。国際通り入り口の安里琉映から始まり、通り街にはグランドオリオン(正確には通り少し奥側)、国際劇場(現在はテンブス館に変貌)、東宝劇場、南映劇場、国映館(その後移転);他、真和志琉映、寄宮琉映、自宅近辺には若松国映、文化座などで、それら全ての映画館で映画を観ました。当時が懐かしいです。
  • @jiropushkin3563
    わたしの父は明治20年那覇市松山町生まれです。1991年、61歳のときわたしは初めて沖縄を訪れました。首里城に行って帰り首里高校まで歩きました。夕方で柵から中を覗いてると生徒が7,8人ボールを蹴っていました。そのうちの一人がやって来て、何かご用ですかと聴いたので「ニューヨークに住んでるけど、私の父が明治時代に県立1中を卒業したので・・」といったら「そうですかー、握手してください」といって手を差し出しました。するとボールを蹴っていた男女の生徒がみんなやってきて全員と握手しました。「この辺でタクシー拾えるかしら?」というと、2人の男子生徒が、タクシーなら僕らが連れてきますといって駆け出し、タクシーを呼んできました。東京にもニューヨークにもこんないい生徒はいないなーと大感激しました。(ニューヨーク発)
  • 復帰していないのに美空ひばりの上映がされたんですか?アメリカが許したんですか?